「地銀改革史 – 回転ドアで見た金融自由化、金融庁、そして将来」

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「地銀改革史 – 回転ドアで見た金融自由化、金融庁、そして将来」

地銀改革史

地銀改革史 – 回転ドアで見た金融自由化、金融庁、そして将来」は、3人の著者の共著による金融史・金融行政史です。

一人は大蔵省の護送船団行政の原体験をもち、金融庁長官として「金融処分庁」を「金融育成庁」に変える大転換を実行した遠藤俊英氏。もう一人は、広島銀行に30年間勤務したのちに異例の抜擢で金融庁に転じ、歴代長官を支えた日下智晴氏。三人目は、日本経済新聞金融エディターの玉木淳氏。

本書の概要としては以下のように説明されています。

・80年代の金融自由化から、金融庁による検査の時代、対話型への転換まで、40年間にわたる地銀史をキーパーソン二人が明かす。
・実体験を通して、地銀と行政の実相を描く異色の金融史。
・大蔵省から地銀に転じた橋口収氏のエピソード、金融の専門人材が不足していた大蔵省、金融自由化に翻弄された地銀、銀行を恐怖に陥れた行き過ぎた金融検査の実態、金融庁が歴代長官のもとでどのように改革に取り組んだのかなど、当事者ならではの視点で率直に語る。

本書は、地銀に関わる金融行政の重点が、金融システムの安定から、地域金融機能の育成、持続可能な地銀のビジネスモデルの構築へと変遷してきた様子が伝わってくる内容となっています。

長年にわたる当事者二人の経験を元にした内容であるため、範囲が広いのと同時に大変密度が濃く、とても紹介しきれませんが、本書から一部内容を抜粋してご紹介します。

1.「心理的安全性」と対話を重視する遠藤俊英氏の原体験

顧客目線で政策を練る行政スタンスの原点として、紹介されているのが2004年に発生した「偽造キャッシュカード問題」への対応です。

(1)「偽造キャッシュカード問題」とは

「偽造キャッシュカード問題」とは、2004年に多発した不正な預金引き出しの問題。その手口は、盗んだキャッシュカードから情報を盗み出し、カードは本人に返した上で、盗んだ情報で偽造キャッシュカードを作成して、銀行口座から預金を引き出すというもの。

この犯罪によって退職金を失った人もいましたが、当時の改正前の民法478条では「銀行に過失がない場合、預金引き出しは有効」との趣旨の規定であり、被害者救済策がありませんでした。

遠藤氏は、庁内の法案を作る部門に「救済の道を開く特例法を作ってほしい」と相談し、断られてしまいます。

(2)「偽造キャッシュカード問題に関するスタディグループ」を発足

そこで、2005年2月に「偽造キャッシュカード問題に関するスタディグループ」というプロジェクトを発足。6月末までの短期間に、全19回もの会合を開催し、被害補償と被害発生予防・被害拡大抑止策についての報告書を作成。

報告書の提言内容は、法律論に留まらず、システムや技術的問題にも及びました。

このプロジェクトでの議論や提言が契機となり、金融機関側の対応が進みました。具体的には、被害を最小限に抑えるための、引き出し限度額を大幅な引き下げや、キャッシュカードのIC化などです。

(3) 全員参加型のチーム運営と外に出て学ぶ意識の醸成

また、このプロジェクトへの参加メンバーの声がけ等を通じて、遠藤氏は「官僚組織を動かすには、社会的意義をはっきり定義する事が大事だ」と学んだといいます。

また、全員参加型でプロジェクトチームを運営し、各職務を各メンバーの責任に任せたことが高いパフォーマンスにつながりました。

さらには、議論の過程で、情報理工系の大学教授、暗号論やセキュリティの専門家、メガバンクのシステム事務担当者など幅広いメンバーと意見交換。

この経験が、後に金融庁内の組織改革に取り組む際に「外に出て未知の面々から学ぶべき」との問題意識につながったと説明されています。

最終的に、このプロジェクトの報告書がベースとなり、預金者保護法の成立につながっています。(2006年2月10日施行)

なお、「地銀の改革議論」は偽造キャッシュカード問題で経験したプロジェクト型行政をひな型にして進めたとのことです。

その理由は「地銀改革はそれ単独では成就が難しく地域経済の復活・活性化と分かちがたい関係にある」ためです。

こうした広がりのあるテーマを議論し、検討を深めるためには、プロジェクト型行政が適していると考えるに至った原点として「偽造キャッシュカード問題」が紹介されています。

本エピソードは、後に金融庁長官として「心理的安全性」を掲げて、金融庁の組織改革に取り組んだ遠藤氏の原点がわかる貴重な事例として、ご紹介しました。

2.銀行業高度化等会社

次に、銀行業高度化等会社についてご紹介します。これは、2017年に新設された制度です。

銀行法は、銀行の健全性を確保するため、その業務を預金、融資、為替など主要業務に集中させています。これを「他業禁止の原則」といいます。

例外的に認められている業務は、銀行法10条で個別に認められた業務のみでした。これには、銀行による産業支配を牽制する意味もありました。

ところが、低金利は世界的に広がり、国内の人口減少は加速。預金を融資に回す預貸ビジネスに依存したモデルには限界が生じています。

そこで「銀行が新たな業務を創意工夫により生み出す」ことができるように、2007年に金融機関の裁量範囲を拡大するための議論を行ったものの、この時は承認されませんでした。

その10年後の2017年、銀行法は改正され「銀行業高度化等会社」が新設されました。これは「銀行によるフィンテック企業の子会社化を認める規制緩和」です。これは地銀にとって大きなチャンスとなりました。

さらに、2021年の改正では「銀行業高度化等会社」の定義が「地域活性化や産業の生産性向上に資する会社」と拡大され、地域の活性化や産業の生産性向上につながる、全業務が可能になりました。これによって、地方銀行による、地域商社や人材派遣会社の設立が相次ぐことになりました。

銀行業高度化等会社については、地銀に関わる金融行政の重点が「持続可能な地銀のビジネスモデルの構築」に移行したことを示す、象徴的な事例としてご紹介しました。

3.短期継続融資(単コロ)と単コロ復活プロジェクト

続いて、短期継続融資(単コロ)と単コロ復活プロジェクトについての内容をご紹介します。本項については、本書をそのまま引用してご紹介します。

(1) 短期継続融資(単コロ)とは

「『単コロ』とは『単名手形コロガシ』の略。単名手形とは手形債務者が一人の手形を指し、約束手形がこれに該当する。

資産超過の企業であれば、元本を返済せず利払いだけで済むため、企業にとって利点が大きかった。配当を支払えばよい資本調達と事実上同じで、疑似資本と言われた。

単コロは戦後の高度経済成長を底支えしてきた。暗転したのは金融庁が1997年7月に策定した金融検査マニュアルだった。」(第2章から引用)

(2)「単コロって何?」

「通称、単コロは1年など短期間に融資契約を更新する融資慣行のこと。手形を書き換えることで、返済期限の1年後、銀行の担当者が企業を訪問し、財務内容や業績、業務内容に問題がなければ、借換を認めていた。

つまり、向こう1年間は元本返済する必要がない契約で、金利のみ銀行に支払う仕組み。借換さえスムーズにいけば何年にもわたって借金の返済が発生しないため、資本金と同じ性格を持つ。『疑似エクイティ』と呼ばれていた。

毎年必ず『事業性評価』を経ているところがポイントだ。目利き力のある銀行員が定点観測した上で、手形書換を認めた。そのプロセスを通じて銀行員が目利き力を養うことにもつながった。

そんな融資慣行が検査マニュアルによって絶滅しかけていた。

代わりに広がった長期融資は毎月一定の元本返済を求める契約で、金利に元本の約定弁済が上乗せされるため、返済原資の工面に苦労することになる。

(中略)単コロを『短期継続融資』と命名し、それを復活させるプロジェクトが始まった。」(第3章から引用)

手形貸付を書き換えて継続することが「金融検査マニュアル」によって、不良債権と見なされ、貸しはがしの対象とされた。これについては、一般的な認識の通りです。

手形貸付の書換による継続を「単コロ」ということは初めて知りました。(短期融資を転がすという意味で「短コロ」かと思っていました)

4.地銀改革の2つのエンジン – 「金融行政方針」と「金融レポート」

次は「金融行政方針」と「金融レポート」についてです。

地銀改革行政は、森信親氏が検査局長に就任した2013年夏に本格スタートしました。森氏は2015年に金融庁長官に就任。

2016年に地銀改革行政に時代の必然性が加わります。日銀によるマイナス金利政策です。

金融庁の政策の重点課題は「地銀の持続可能性」となり、将来にわたって健全性を保つ「持続可能なビジネスモデル」の構築を求めるようになります。

森長官が導入した「金融行政方針」と「金融レポート」の2つの文書は、地銀改革を進める上で極めて大きな力を発揮しました。この2文書の特徴は以下4点です。

1) 金融行政の目標再設定
2) 金融行政のPDCA
3) 金融行政のアジェンダ
4) 金融行政のファクト主義

(1) 金融行政の目標再設定

従来の金融行政の目標の一つである「金融システムの安定」に「金融仲介機能の発揮」を加え、その両立を目指すこととしました。

「金融行政方針」はこの目標にしたがって「健全性」や「リスク管理」だけでなく、「リスクテイク=金融仲介機能の発揮」についても明確に記載しました。

(2) 金融行政のPDCA

「金融行政方針」でその年の重点施策を打ち出し、1年後の「金融レポート」でそれを検証するというPDCAサイクルとしました。不十分な点は翌年度の「金融行政方針」に反映することで、課題を見える化しました。

(3) 金融行政のアジェンダ

「金融行政方針」において毎年、新たな概念や枠組みを打ち出しました。「事業性評価」、「共通価値の創造」、「日本型金融排除」、「顧客本位の業務運営」など。これらは「地域金融のあるべき姿」を議論する上で共通言語となっていきました。

(4) 金融行政のファクト主義

「金融レポート」においては、事実を重視し、議論の材料として提示しました。そのために企業アンケート調査と金融機関の自主的なベンチマークで定点観測する枠組みを設定しました。

PDCAサイクル

なお、第2章の遠藤氏の「金融行政方針」に関するこの記述に関して、第3章で日下智晴氏は以下のように言及しています。

「2015年の年初には、広島銀行の退職を決めていた。(中略)金融庁が静かに変わろうとしていた。9月に金融庁が公表した『2015事務年度 金融行政方針』の冒頭に、金融庁が目指すものがはっきりと書かれていた。金融行政の目的をここまではっきりと書いた方針は過去になく、実に心に響くフレーズが記されていた。

『企業・経済の持続的成長と安定的な資産形成等による国民の厚生の増大の実現を目指す』

1) 景気のサイクルに左右されることなく、質の高い金融仲介機能が発揮されること。
2) 金融仲介機能の発揮の前提として、将来にわたり金融機関・金融システムの健全性が維持されるとともに、市場の公正性・透明性が確保されること。

さらに大切なのは、それを『国民の厚生の増大』のために行うと明記されていたことだ。」

既定路線を大きく動かす改革を実行するには、方針を掲げると同時に、実効性を持たせるための継続的な仕組みが必要です。

毎年8月末に公表される「金融行政方針」が「地銀改革」に実効性をもたせるPDCAサイクルの一環という役割を担ってきたことは、その位置づけを知る意味で重要な内容と考え、ご紹介しました。

また、金融行政の目的が「企業・経済の持続的成長と国民の厚生の増大の実現」と知り、金融庁への入庁を決めたという、日下氏のエピソードからは「地銀改革」が使命感を持った人たちによって実行されてきたことが伝わってきます。

5.ちいきん会

最後に「ちいきん会」についてご紹介します。第6章で紹介されている「ちいきん会」とは、自治体職員や金融機関職員等の有志による交流組織です。

「ちいきん会」の発起人は、元財務省 東北財務局職員の菅野大志氏です。

菅野氏は、財務省在籍時代に2度、金融庁に出向されています。菅野氏が2度目に金融庁に出向したときの金融庁長官が遠藤俊英氏でした。

両氏は、2018年9月に一緒に富士登山に出かけ、菅野氏が「疲労困憊の遠藤さんに『地域に関わる仕事がしたいです!』とその場のノリで直訴」。その直訴が結果的に「ちいきん会」の発足につながったというエピソードも興味深いです。

なお、菅野氏はその後、財務省を退職され、2022年4月に山形県西川町長に就任されています。

ちいきん会」は、自治体職員や金融機関職員等の有志による交流組織。2019年3月に発足し、2022年2月に一般社団法人化しています。発起人は当時、金融庁職員であった菅野大志氏。

「官民(官公庁・地方自治体・行政法人・企業・大学等)の多様な関係者による対話を通し、社会に対する新たな価値の提供を共に創る活動を支援及び推進することを目的とし、その目的の達成に向けた連携や実践の支援」をその目的として活動されています。

6.「地銀改革史」年表

主要な出来事 金融行政の重点
1992件 不良債権問題 金融破綻防止・金融システムの安定
1997年 山一証券・北海道拓殖銀行の破綻
1998年 金融監督庁発足
1999年 「金融検査マニュアル」公表
2000年 「金融庁が中小企業をつぶす」(東谷暁)
2002年 「金融検査マニュアル別冊(中小企業融資偏)」公表 地域金融機能の育成/中小企業・地域経済の振興
2003年 リレバン(リレーションシップバンキング)政策
2005年 不良債権問題終焉
2008年 日本の人口減少
2009年 中小企業金融円滑化法施行
2013年 地銀改革スタート 持続可能な地銀のビジネスモデルの構築
2015年 森信親氏が金融庁長官に就任。金融行政の目的を「企業・経済の持続的成長と安定的な資産形成等による国民の厚生の増大の実現を目指す」とする。日下智晴氏の金融庁への入庁
2016年 日銀によるマイナス金利政策
2017年 「銀行業高度化等会社」新設
2018年 遠藤俊英氏が金融庁長官に就任(組織内外との対話重視)
2019年 「ちいきん会」発足/「金融検査マニュアル」廃止

7.「地銀改革史」目次

はじめに 地銀を監督する意味(遠藤俊英)
序章 今、『地銀改革史』を書く理由(玉木淳)

第1章 金融自由化の時代 – 「新人類」が見た風景
    時代背景 「金融自由化の意味」
    1.「護送船団行政」への違和感 – 大蔵省銀行局の現実
    2.「橋口頭取」の道しるべ – 広島銀行の進化論
    3.バンクリーディングの世界 – 脱銀行の第一歩
    4.「普銀転換」は失敗だったのか – 相銀マンの回想

第2章 金融処分庁の時代 – 地銀と20年論争
    時代背景 不良債権問題と金融庁
    1.検査マニュアルの威力 – 最恐官庁の誕生
    2.検査庁の栄光と挫折 – 捨てられない成功体験
    3.検査庁の転向 – 歴史的役割の終焉
    4.監督庁の苦悩 – リレバンの理想と現実
    5.バーゼルの黒船 – 生殺与奪の権

第3章 金融育成庁の時代 – 金融庁の試行錯誤(遠藤俊英)
    時代背景 金融処分庁からの卒業 – アベノミクスとともに
    1.「心理的安全性」の原点(課長時代)
    2.「脱銀行路線」の源流(信用制度参事官時代)
    3.「地域課題解決」の処方箋(監督局参事官時代)
    4.「探求型対話」の発見(検査局長時代)
    5.「予測型行政」の限界(監督局長時代)
    6.「金融育成庁」の土台(長官時代①)
    7.「金融育成庁」の針路(長官時代②)

第4章 金融共創の時代 – 地銀の理想と現実(日下智晴)
    時代背景 地銀、黄金時代から苦境時代へ – 自分探しの旅 –
    1.「合理的思考」の原点(新人~中堅時代)
    2.「投資銀行化」の信念(企画担当時代)
    3.「金融庁体験記 – パート1」(金融庁 地域金融企画室長時代)
    4.「金融庁体験記 – パート2」
     (金融庁 地域金融生産性向上支援室長・地域課題解決支援室長時代)

第5章 金融挑戦の時代 – 試される信用創造機能(玉木淳)
    時代背景「銀行の健全性」から「経済の活性化」へ
    1.「社会課題解決型企業」へ – 冬の時代超える業態転換
    2.「地産地消銀行」の道しるべ – なぜ、名門地銀は見捨てられたのか
    3.「中小企業専門銀行」へ – 敵ではなく味方に
    4.「地銀中央機関」設立へ – 地域公益守る究極の選択

第6章 座談会 金融庁模索の時代 – 命令から対話へ
おわりに 地銀も「株主ガバナンスの時代」に(日下智晴)

地銀改革史

日本経済新聞出版
「地銀改革史 – 回転ドアで見た金融自由化、金融庁、そして将来」
著者名:遠藤俊英/日下智晴/玉木淳
出版社:日経BPマーケティング
発行日:2023年09月25日

(文責:キャッシュフローコーチ 片山祐姫)