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転職を考えた一つ目の理由 - 営業に向いていないんじゃないか?
転職した時の年齢は26歳。
その時、所属していた会社はスポーツ用品関係の小さな会社で、営業職として採用していただきました。そもそも高校時代からそういう仕事を希望していた私でした。
部活や団体にユニホームを売ったり、チームジャージを提案しに行ったり、学校に体育用品を納品したり。
「まさに理想の仕事ができるんだ!」と希望に満ち溢れて入社したのを覚えています。
コネ入社だったもので、
「一生分の運を使い果たした。もう俺はここで骨を埋めるしかない!」
とまで当時は思っていたにも関わらず、なぜその3年後に転職を決意し、それを実行したのか。それにはいろいろな理由がありました。
まず一つ目に「営業の仕事とは?」という根本に疑問を感じるようになったのです。
確かに物を売るのが営業の基本です。その際にはもちろん、得意先の人との会話をはじめとするコミュニケーション能力が求められるわけです。
私の場合は主に学校に出入りする営業でしたので、本来でしたら、目的の先生以外にも、知ってる先生を見かけたら、そこから営業トークを展開して仕事を貰ってくるのが本来の営業マンの姿。
しかし、私は何年経ってもその術を身につけられず、ただ商品を納品して終わり。会話も特に生まれず、呼ばれて初めて出向くということも少なくありませんでした。
また、営業として根本的な部分がかなり欠如していました。例えば納品する商品を忘れたまま出発してしまったり、約束の時間をアバウトに覚えて遅刻してしまったり。
そこから、転職の主な原因と言っても過言ではない、
「俺って営業向いてないんじゃないか?」
的なマイナス思考症候群に陥ってしまいました。
自分がもっと注意深く仕事に取り組めば、どれも未然に防げるものばかりなのですが、あまりに何度もくり返したためにすっかり自信を失っていました。
そう思ううちに、
「営業じゃない仕事で金を稼ぎたい」
という思いに変わり、転職を考えるようになりました。
転職を考えた二つ目の理由 - 結婚できる収入がほしい
二つ目に、その会社に勤め始めて3年目にできた彼女のことがありました。(ちなみに、今の妻になります)
交際初めから「この子と結婚するんだ」と意気込んでいた私は、その当時の給料と会社の体制などを改めて見直しました。給料は正直、結婚ができるような手取り額ではありませんでした。
もっとも、家族経営の本当に小さな会社だったので、小額でもお給料を貰えているだけでありがたい話でした。
しかし、それは自分ひとりの考えです。結婚を考えるとなると、生活していかなければならないので、それ相応の収入がなければなりません。
また小さな会社だったために社会保障も完備されていませんでした。
普通、企業に勤めていれば、正規雇用の従業員は給料から年金と健康保険のお金が天引きされ、雇用保険も差し引かれ、そこから各種手当てがあったりするものです。
しかし、その会社の給料体制は基本給から所得税を引かれただけ。年金は国民年金、保険は国民健康保険にそれぞれ役所で加入し、手取りの給料から自分で支払うシステムでした。
これではまるでフリーターです。サラリーマンなのに社会保険面ではそうではなく、雇用保険で守られているわけでもありませんでした。
「これでは到底、結婚なんてできない。最低限の保障があって、収入を増やさなくては」という考えが、本格的に私を転職活動へと誘いました。
会社にバレないように転職活動
転職した、その年の夏前には「今年中に何とか完結しよう」と思い、さて、どうやって転職活動をしようか考えていました。
漠然と転職サイトへ登録し、日々送られてくる情報に目を通す毎日を過ごしますが、何ら進歩はなく。たまたま、この時期に就職する先輩がいたので、その先輩からどうやって情報収集したのかを聞きました。
すると、「週刊発行されている求人情報誌で見つけた」と聞いたので、自分も真似するかのように、毎週その雑誌に目を通しました。その中で、ピンとくる企業が一社、ありました。
その会社は当時勤めていた会社と実は取引があり、スポーツ関連企業と言えばそうでした。しかも工場勤務の社員募集ということで、営業ではない職種を希望していた私からしてみれば渡りに船でした。
転職するとは言え、「できることならスポーツ関係の仕事はしたいな」という僅かな希望は捨て切れなかったので、すぐに電話して、面接の日程を決めました。これがこの年の9月頃でした。
当然ですが、営業の仕事をしながらの転職活動だったので、会社にバレずにこなさなくてはなりません。
会社を辞めてまっさらな状態で一から転職先を探し始めるという方法もありますが、収入がない中でそのようなことはとてもできないと考えていた私は、心苦しいながらも仕事と並行して転職活動をしていました。
面接の日は平日でした。第一面接は休日出勤の代休を充てることでセーフ。
二次面接はいよいよ代休対応もできず、仕方なく「仮病」で会社を休んで面接に行き、採用通知をいただきました。
「よし!これで転職ができる!後は会社に年内中で辞めることを伝えるだけだ」と思ったのも束の間。言い渡された給料額が当初より低く、収入はほぼ変わらない事が発覚。
この日は面接を終えた後、あまりのショックで午後にどこで何をしたのか、覚えていないくらい落ち込みました。
辞職を申し出て憮然とされる
さて、年内中に辞めなければならないので、まずは上司(専務)にその旨を伝えました。専務は
「そこまで考えて、しかも行動に移しているならそうした方がいい」
と背中を押してくれました。
しかし、社長は私のこの行動に納得がいかなかったようで、憮然とした態度。
まあ、当然と言えば当然ですが、辞めるその日までまともに目を合わせてくれず、挙句の果てには「君のそのやり方は私に対する宣戦布告だ」
とまで言われてしまいました。
さすがにこの発言には堪えましたが、
「こればっかりは自分がいけない。自分のためだ」
と我慢して帰宅後、酒に溺れて泣き崩れました。
「転職がそんなにいけないことなのか?」と。
いろいろありましたが、その会社は退社。もちろん、文面からお察しの通り、決して円満退社とは言えず。しかし、気持ちを切り替えて前を向くしかありません。
転職先で必死に業務をこなした
新しい会社ではこうした経緯も含めて、「もっとがんばらなくては!」と思い、必死に業務をこなしました。もちろん、彼女と結婚するという前提もありましたので、少しでも早く認められ、給料を上げてもらおうと必死でした。
その努力あってか、2年目からはベースアップに成功し、ボーナス時も特別賞などもらえるようになりました。
必死にがんばれば、必ず誰かが見ててくれて、それを認めてくれる、それを初めて実感したのがこの会社でした。
ベースアップはしましたが手取り額は低く、正直。彼女のほうが給料は良かったくらいでしたが、社会保障をはじめ、福利厚生などはしっかりしていたので、そこは安心できました。
上司や先輩社員、作業を直接こなすパートさんとも仲良くなっていき、とても良好な人間関係が築いていけました。こういった部分で言えば、この転職は成功だったといえます。
転職は簡単なものではありません。ステップアップと言えば聞こえはいいですが、辞められる方からしてみれば「裏切り行為」です。
私の転職は一つのサンプルに過ぎません。きっと周りに転職経験をされている人がいると思います。いろいろと話を聞いて、ご自分なりの転職を検討してみてください。