高等学校の教員として3校を経験
私は現在55歳の女性です。高等学校の教員として、3校の勤務経験があります。
3校とも公立で、芸術科(音楽)の指導のほか、進路指導を担当していました。そのあと、パートタイマーとして、児童館職員、グループホーム職員を務めた後に現在は無職となり、夫の給与で生活を成り立たせている状態です。
初任校の職場は、入学時の応募人員不足のために、受験生を全員合格させるような学校でした。しかも、受験した生徒が他校に入学手続きをしてしまうことがあり、そんな場合には補欠募集も行っていました。
補欠募集に応募してくるのは、どこの試験にも受からなかったような生徒です。そのような職場であったため、教員は団結して仕事に臨んでおり、日常会話を通じて、生徒についての情報共有も頻繁に行っていました。
2校目は、中堅校で倍率の出る学校でした。向上心のある生徒が多かったことから、私は進路指導と部活指導に熱心に取り組み、次第にのめりこんでいきました。
その結果、一番やらなければならない授業がおろそかになってしまいました。また、体調が悪くなり、進路指導室のソファで仮眠をとって帰ることもありましたが、自分ではただの疲れだと思っていました。
3学期に入っても体調がよくならなかったことから、「これはあやしい」と思って自分で精神科に行き、うつ病と診断されました。しかし、その時点ではすでに転勤が決まっており、どうにもならかったのです。
3校目は新設校でした。私は新設校に転勤できたことを誇りに思いました。しかし、「新たな環境でがんばろう」と思えたのはほんの一瞬でした。
生徒の動きが読めず、きちんとしたルールを作らなければいけなかったので、毎日が会議、会議の連続。私の心は干上がってしまい、お決まりの休職 → 退職のパターンです。
この時点で、私は50歳を過ぎていました。
教員免許を生かして児童館へ転職
そんなこれまでの経歴と教員免許を生かして、子どもと関わる仕事をしようと考え、児童館へ就職しました。
しかし、児童館のメインユーザーは小学生で、高校生のように言葉で理解し合うことができませんでした。
高校でもやってきた、掃除をすることや、本の整理をすることは全く苦になりませんでしたが、反抗期の小学生とは全くわかり合うことができずに児童館を退職することになります。
グループホームへ転職
その間に、私は介護職員初任者研修を受け、児童館退職後、グループホームでケアワーカーとして働き始めました。
児童館の館長先生から、小学生のようなスピード感のない高齢者福祉施設なら、自分のペースで働くことができると勧められたからです。
グループホームの利用者さんは認知症をわずらっている方の小集団です。
利用者さんが粗暴になったり、弱ったりすると、それを目の当たりにしている他の利用者さんたちも不安になります。そのような環境の中、私には慣れない生活ケアを適切にさせていただくことができませんでした。
掃除、洗濯は日常で、また前職でやってきましたが、それ以外のケアは「雑だ」と判断されて、本採用までいかずに退職しました。
これまでの経歴をふり返って思うこと
これまでの私の経歴をふり返って思うことは、転職しようとする時には、「免許・資格にこだわりすぎない」ということです。
資格を生かそうと考えたのは、収入がなくなることがとてもこわかったからです。資格を生かせると思ったことにチャレンジしてみたのですが、結局、現場では思ったようにはできなかったのです。
私にとって高校教員免許以外の資格は、机上の空論に過ぎなかったのでした。
「お年寄りのケアをすることが果たして自分に向いているのか」ということについて、尊敬していた児童館の館長さんのアドバイスだけに頼り、収入がなくなることに対してひどく焦り、行動してしまったことを反省しています。
「自分に何ができるか」を深く深く考えて、それから資格を取るのでも遅くはありません。
介護職員初任者研修は、集中クラスで2週間、毎日通えば研修修了にできる資格です。お勤めの方は、週に1回の講習も選べます。
これから転職する方へ
それから、特に実家暮らしの方は、絶対にお金を貯めておくべきです。
円満退職であったとしても、転職活動にはお金がかかります。
私の場合は病気という不測の事態での退職でしたが、高校勤務時代の蓄えがいくらかあったことから転職活動もできました。ハローワークにも定期券を買って通い詰めました。
高校勤務時代の蓄えがなかったら、退職金だけで両親の面倒をみつつ、やってこれていたかどうか。今の状態でも65歳までやっていけるかどうかわかりません。
父はこの間に亡くなりましたが、これから母を看取るのにどうしたものかと悩んでいる最中です。
最後に。仕事がどんなに楽しくて、のめりこむようなことがあっても、そこからスイッチを切って家に帰ることは必要です。
たとえば、何かのプロジェクトに心血を注いでも、やりすぎないことです。
心の病気になると、あとが大変です。病気退職からフルタイムの勤務に戻るには、厳しい研修が必要な場合もあります。3年間もの長期休職をしてしまうと、職場復帰することは難しいと痛感しました。
私は現在、コミュニティにいかに溶け込むかという課題感をもって生きています。