数年前まで私はすこし変わった仕事に就いていました。
それは「水族館のお姉さん」です。
水族館のお姉さんの仕事
水族館に行くと、ペンギンのお散歩や、アザラシのお食事解説ショーなどがありますよね?
マイクを持って、お客様と飼育員さんの間を歩いて、質問を向けたり解説したりする。
それが私のお仕事でした。
ちょうど20歳から25歳までの5年間、水族館の展示解説員として働きました。
皆さんによく聞かれますが、私たちは飼育員ではありません。
あくまで、飼育員さんの補佐として、ショーを進行するのが、私たちの役割。
働いているのは、ちょうど同じくらいの年頃の女性がほとんどで、部署に10名。
そのうち2割ほど、イルカのトレーナー専門学校で学んだ人がいましたが、ほとんどは素人。
海の生き物のことは何も知らない状態で入社しました。
でも、毎日水族館で働いていると、お客様からいろいろな質問を受けます。
たとえば、
「ペンギンはどうして空を飛ばないの?」
「イルカはどうやって芸を覚えるの?」
「マンボウは毎日どのくらいエサを食べるの?」
お客様からの質問に答えるために、私たち解説員は、毎日勉強して、
飼育員さんに教わりながら、生き物の知識を増やしていきました。
間違った知識をお客様に伝えてはいけません。
しかし、分かりやすい言葉で伝えなければなりません。
ショーの中で取り上げた質問は、飼育員さんが直接答えてくれます。
しかし、時間の都合上、すべての質問にはお答えできないこともありますし、
飼育員さんの回答に、補足を加えなければいけないこともあります。
ショーが終わったあと、手を挙げてくれた方のところに駆け寄って、
私たち解説員がお答えすることも多いのです。
この水槽のマンボウは、いま何歳なの?
そういった日々の業務の中で、ある日、こんなことがありました。
「この水槽のマンボウは、いま何歳なの?」
マンボウのお食事解説ショーの後、男の子がこんな質問を投げかけてきました。
それは、体長2メートルにもなる巨大なマンボウでした。
しかし、ラッコやアシカのように、解説パネルには「何歳」という記載はありません。
それは、このマンボウが水族館で生まれたのではなく、海から連れてきた生き物だからです。
「このマンボウはね、海からやってきたから、いつ生まれたか分からないんだよ」
と答えます。男の子は、少し不満そうな顔をしながらも、うなずいて、
お母さんに手をひかれて先に進みました。
その表情が気になった私は、事務所に連絡を取りました。
「水槽のマンボウがいつ搬入されたのか、マンボウの年齢を知る方法はないか」
問い合わせると、数人のスタッフがすぐに調べてくれました。
そのマンボウは2年前に搬入されたこと、体長が50センチほど成長したこと。
しかし、マンボウの成長や年齢を知る方法は、資料を調べてもわかりませんでした。
その日、大量のイワシの搬入作業があったため、
どの飼育員さんも多忙で、なかなか話を聞くことができませんでした。
そんな中、私がマンボウについて調べていることを担当の飼育員さんが知って、
なんと休憩中にも関わらず、質問に答えるために、一緒に行くと言ってくれました。
「実は、おじさんもわからないんだよ」
会場案内のスタッフに問い合わせると、その男の子は、まだ館内にいました。
突然の飼育員さんの登場に驚いて、少し緊張した顔をしていました。
「このマンボウが何歳なのかはね…。実は、おじさんもわからないんだよ」
飼育員さんがそう答えて、私も内心少しがっがりしました。
飼育員さんにもわからないのか、と。
「魚にはね、耳石といって、耳に小さな石があるんだ。
木の年輪みたいな模様があって、そこから年齢を知ることができるんだよ。
でもマンボウは魚なのに、その耳石がないんだ」
「このマンボウはとっても大きいけど、水族館に来たばかりの頃は、まだこれくらいだった。
でももっと大きくなるんだ。3メートル以上のマンボウもいるんだよ。
調べる方法はまだないけど、大きなマンボウは、80~100歳くらい生きているという説もある」
その言葉に、男の子は目を輝かせました。
「マンボウは不思議な魚で、どこで生まれて、どんな暮らしをしているか、
まだ全部は分かっていないんだ。大きいけどとってもデリケートな魚で、
水族館ではまだ10年くらいしか育てることができないんだけど、これからもっと
マンボウのことが分かれば、長く育てることができるようになるだろう」
魚が好き?と聞くと、男の子が大きくうなずきました。
飼育員さんになりたいのよね、とお母さんが答えます。
「君の質問に答えてあげられなくてごめんね。
でも君がどうしてかな、それを知りたいなって思ったことは、すごいことなんだ。
君が大きくなって、もし飼育員になって観察を続けたら、答えがわかるかもしれない。
だからこれからも、生き物の観察を続けてね」
と、飼育員さんは言いました。
私が水族館で学んだこと
それまで私は、お客様の求める回答を提示することが、解説員の仕事だと思っていました。
しかし、その男の子を見て思ったのです。
自分の疑問に対し、しっかりと向き合ってくれたこと。
飼育員さん自らが答えて、自分をすごいと言ってくれたこと。
たとえ正解ではなくても、その対応がどれほど嬉しかったこでしょう。
後日、その男の子とお母さんは、水族館にお礼のお手紙をくれました。
小さな疑問に、たくさんのスタッフが働きかけてくださり、感謝しています、
とつづられていました。
このことをきっかけに、お客様の満足のために何ができるか、
私は二つのことを学びました。
一つ目は、あきらめないこと。
マニュアル通りの回答でおしまいにするのではなく、最善を尽くすこと。
そして二つ目は、スタッフ同士が協力し合うこと。
この時、同じ部署のスタッフだけではなく、飼育部署や受付部署のスタッフも協力し、
連絡を取り合い、迅速に対応してくれました。
そのためには、普段からスタッフ同士が交流を持ち、信頼を築いていることが
何よりも重要です。
今は水族館を離れ、他の専門職についていますが、
この時期に学んだサービスの精神は、今の職場にも生かされています。
「心を伝えたい」と思うとき、私は水族館で学んだことを、今も思い出します。